なんでもない科、そうでもない科
所長 毛利 一平
ひまわり診療所に来てもうすぐ満11年になる。診察室を離れて、研究者の世界で長い時間を過ごしてから臨床に戻ったので、うまくやっていけるか、ひどく不安だった。自分が専門としていたのはざっくり言うと「公衆衛生」というもので、人間の集団を対象として病気やら何やらを数えることだ。一人ひとりの患者と向き合って、病気の原因や治療方法を考えるのとはかなり「作法」が異なる。
病気に対する知識・経験はほぼ研修医の頃のまま止まっていて、力不足を感じざるを得なかった。幸い先輩(平野医師)に配慮してもらって、担当する患者数を絞り、勉強しながら少しずつ追いつけるよう育ててもらったが、芯になる専門知識がないものだから、なかなか自信をもって診療することができなかった。
いつの間にか自分のことを、「なんでも内科」ならぬ「なんでもない科」などと、外に向かって自虐的に自己紹介するようになっていた。聞いてる人には一瞬笑ってもらえるのでいいのだけれど、診察を任せる患者にとってはいい迷惑だったに違いない。
幸いにして大きな事故もなくここまでやってこれはしたが、あの時ああすればよかった、こうすべきだったと反省することはいくらでもある。
病気の原因を探ろうとして検査のやりすぎになってしまったり、逆に必要な検査ができていなかったり、知識・経験が足りないせいなのか、新しい薬を使っての治療がうまくいかなかったり。もちろん、時間を見つけて教科書を読み、研修を受けて勉強も続けてはいるけれど、それだけですべてを身につけられるものではない。
結局、こんな医者でも信頼して任せてくれる患者がいるからこそ、医者として成長し続けることができるのだなと思う。
コロナ禍と重なったここ5年ほどは、ずいぶんと新しいことにもチャレンジすることができたし、それを患者に許してもらってきたようにも思う。訪問診療に出かける回数も増えてきたし、認知症患者のサポートも行うようになった。一番やりたかった労災・職業病患者の診療も、制度の理解を含めちょっとは自信をもってできるようになってきた。
ずっと「なんでもない科」と自己紹介してきたけれど、少し前、一緒に隅田川医療相談会に参加しているベテランの医師から、「先生、そうでもない科」と言ってもらえたのはうれしかった。
ようやく、臨床医としてそれなりに仕事ができるようになれたのかな、などと思っている。
さて、2025年。
もう自信なさそうに、自虐的に「なんでもない科」などと自己紹介するのはそろそろやめよう。ただ「なんでも内科」というほどにはうぬぼれられない。せいぜい「なんでもない科(そうでもない科)」ぐらいか。カッコ付きでもうしばらく頑張るとしましょう。
一日も早く、胸を張って「なんでも内科」と自己紹介できるように。
こんな感じですけれど、皆さん、また一年よろしくお願いします。