はじめまして

医師 田口 純

 この四月から心療内科を担当する田口純と申します。当院とは、医学生時代、山谷地区の越冬ボランティアに新潟大学から参加し、そこで小児科・山田真さん、快医学・瓜生良介さんとともに、当院理事長の平野敏夫さんから指導を受けて医学の基本を学ばさせてもらって以来のご縁です。

 当院で外来を持つことをお願いしたのは当院にて難民の方への精神科的な援助ができないか、という願望からでした。最近流行りの発達障害的な側面で自分の特性を語るなら、聴覚過敏があること、空気を読むことと協調性に欠けることが挙げられるかもしれません。

 趣味は、フットサルをすること、ゼフィルスという蝶々を見ること、なんだかんだとものを考えて友人と議論することで「答えは問処(もんしょ)にあり」という言葉が好きです。最近考えていることは、ネトウヨの人との対話維持のために必要な相手の考えへの好奇心を挫折しないで持ち続けるにはどんな忍耐力の工夫が重要なのかとか、民主性を志向する組織の中での権威主義のはびこりを阻止し実質的な異見の交流を保障し分裂せずに異見の共生を保つために必要な形式的な条件とは何なのかとか(以上大げさ問題)、後退しつつある能力・ますます進行する機械化に適応できなくなる現実の中で落ち込まずイラつかずに自分を維持するには何が必要かとか(要するに電子カルテはクソだということ)などです。本を読み、動画を見て、自分の頭で考え直して、友人とこういう問題の議論をしあうのがいまの最大の愉しみです。

 亀戸と言えば関東大震災の時の亀戸事件の名前を思い出します。診療の後で、事件の碑がある駅の北側のお寺を訪問すると小さなお寺に静かに石碑が立っておりました(下写真)。

石碑

 ネットでWikipediaを読むと、震災のがれきの中から幼女を救命し保護した労組活動家、生協や労金の設立を提言した劇作家ら十数人が数十人の朝鮮人とともにお寺近くの亀戸署内で殺害されたとあります。公然とした虐殺事件が約百年前にあったという事実をどう考えるか、百年経っても人権意識は変わらないと考えてどの領域のどの問題が虐殺心性の延長と考えられるのか、負の遺産を公然化する態度と国民意識の誇りの関係を結ぶ言葉は何かなど、疑問が再び沸き起こります。こんな人間ですが今後もどうかよろしくお願い申し上げます。