もうこれ以上殺さないで
武器を置いて 話し合って

所長 毛利 一平

バンクシー

バンクシー

 2023年10月7日、あの日からずっと心に何かが引っかかっているような気がします。何をしていても、心のどこかで考えてしまいます。

 パレスチナ・ガザ地区でのことです。

 きっかけとなった武装組織によるイスラエルに対する攻撃は確かにひどいものでした。ですがそのあと、イスラエルによるガザ地区への攻撃はどう考えても過剰なもののように思えてなりません。

 毎日テレビやSNSで届けられる現地からの報告には、雨のように街に降り注ぐ砲弾、がれきとなって崩れていく町並み、その下で押しつぶされていく人々の姿が、これでもかと映し出されます。

 これを書いている12月21日、ガザ地区の死亡者は2万人を超えた、そのうち8千人が子供だと報じられています。さらに7千人近い人が行方不明になっているとも。ガザ地区の人口は約200万人程度だそうですから、実にその1%、100人に1人以上が殺されています。

 生きている人たちもまた、住む家もなく、着る服もなく、水も食べ物もなく、もともと過密だったガザ地区の、さらに一角に押しやられています。飢餓状態に陥っていると報じられており、想像するだけで胸が苦しくなってしまいます。

 もうこれ以上殺さないでほしい。今すぐ武器を置いて、話し合ってほしい。そう思います。

 とても悲しいことに、こうして停戦を訴えると、武装組織を壊滅させることが先だと反論が返ってきます。でもこれまでの歴史を踏まえるならば、そんなことは到底無理であることを、本当は誰もが知っているように思えてなりません。それでもなお、「壊滅」を叫ぶからには、その先に到底認めることのできない、ある結末に向かおうとしている、としか思えません。

 そもそもかの地はイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地という世界でもまれな場所であり、人々は互いを尊重して生きてきたはずです。本来であれば、一つの国に暮らすことができたのかもしれません。そうでなくとも、それぞれに国を持ち、国家として互いを尊重することもできたはずです。

 ユダヤ人の中にもパレスチナ人を良く知る人がいて、パレスチナ人の中にもユダヤ人を良く知る人がいて、平和に共存する道を探していた人たちも、それぞれに少なからずいたと言われていました。それが今や、イスラエル国内ではガザ地区攻撃について、民間人の苦しみを考慮する必要などないとの声が4割にも達していると言います。

 イスラエルの人たちは、ガザに何を見ているのでしょうか。小さな子どもたちまで、悪魔か何かに見えているというのでしょうか。

 2023年に話題になったテレビアニメがありました。その物語の中では人々が憎しみ合い、殺し合っていました。ある少女は少年兵として敵と戦う中で憎しみを募らせ、敵を殺し、捕虜となります。敵国で暮らす中で自分が殺した兵士の家族と出会い、思いもかけず暖かく迎え入れられます。その時の言葉を忘れることができません。

「悪魔なんていなかった。いるのは人間だった」

 私たちはこの当たり前のことを、今すぐ思い出さなければならないと思います。

 今すぐ殺し合いをやめて欲しい。今すぐ武器を置いて、話し合ってほしい。

 2024年、ガザだけでなくウクライナで、シリアで、アフガニスタンで、世界中の紛争が続く土地で、それが現実となることを心から祈らずにはいられません。