多様性

事務 S

  夏休みが始まります。部活動が「外注」されることになったとはいえ、教師の長時間労働はまだまだ続きそうです。教師にあれもこれもと求めすぎているのではないでしょうか。

 遠い昔に私が教わった教師の一人、中学の理科の教師「Jinちゃん」は、学校に住みついていたネコを解剖したという噂がある50代の男性で、スーツに黒の長靴、風呂敷スタイルで通勤し、訛りの強い方言で怒っているようにしゃべる独特な教師でした。授業もかなりクエスチョン。例えば理科なのに教科書を音読させ、H2Oを「エッチツーオー」と読もうものなら「違う! エイチ、ニ、オウだ」と怒りだし、何度もやり直しをさせました。教科書の中身ではなく発音練習で1時間が終わるのです。ちなみにオウのオは口を大きく開けます。

人面魚

 ある日、授業が始まるとJinちゃんは黙々と天井に大きなフックをとりつけて、細めのロープをぶら下げ始めました。「Jinちゃん、死ぬんじゃね?」と教室がざわつき始めましたが何のことはない、振り子の授業でした。その時間はずっと、「かぞえれー」の号令とともに振り子が動くのを「1,2,3」と数えさせられ、止まるまでの数をノートに記入し続けて終わったのです。もちろん、何のためにノートに記入させられたのかは全くわかりません。

 教わったことで覚えていることといえば、人の殺し方と自殺の仕方。テレビや本に出ているやり方ではなかなか死ねないそうで、ここでは言えませんが「へぇ~」な内容でした。

 その後しばらくしてJinちゃんは脳梗塞で倒れて生死をさまようことになります。無事に復帰できたのでみんな喜びましたが、みんな「ネコの祟り」だと思っています。

 高校の現代文の教師で太宰治に傾倒しきっている30歳前後の男性教師。授業中は『人間失格』や『堕落論』について延々と語り続け、「影のある(ように見える)人」は「深く物事を考える人間」であり、明るく元気な人は「薄っぺらい人間」だと言い切る思い込みの激しい人でした。昔の小説に出てくるような「清らかな女学生」っぽい人が好みで惚れっぽく、惚れてしまった女生徒の部活動に顧問でもないのに高い楽器まで購入して出入りするなど、とてもわかりやすい人でした。授業中は毎回、惚れた生徒を真っ先に指名し、一方、私のように自己主張があふれ出ている人間は存在すら認めたくないのでしょう、座席順で指名しているときですらすっ飛ばしていきました。

 ある日の授業はじめ、彼は「今日は紙飛行機を作ってきたので、僕がこれを飛ばして届いた人に音読してもらおうかな」と言って、一番後ろに座っているその惚れた女生徒をめがけて思いっきり紙飛行機を飛ばしました。もちろん力を入れすぎると逆に飛ばないので、全く別の方向に座っていた生徒のところに紙飛行機は落ちました。すると「う~ん、うまく飛ばないな。じゃぁ、○○さん」と、紙飛行機を受け取った生徒のことはガン無視し、惚れた女生徒を指名したのです。クラス全員、苦笑です。小説のような恋がしたいんだろうなぁと、少し哀れに思いました。私が卒業して何年・何十年かのち、その教師は自殺してしまったとのこと。太宰思想に引きずられたのだろうか。もしそうなら、彼は死の瞬間、幸せだったのだろうか・・・。

 他にも変わった教師がたくさんいました。ケンカの強さと暴行歴をひけらかして崩壊したクラスを恐怖でまとめあげたが、結局、別件で逮捕されてしまった音楽教師。アカハラ・セクハラ等、決してここでは書けない大問題教師等々・・・・。

 児童・生徒に対するハラスメントや暴力はあってはならない許しがたいことですが、教師もいろんな人がいるんだなということを学びました。(もちろん、社会に出たらもっと変わった人がもっとたくさんいたので、びっくりしました)。そして、死んだら終わりなんだなということも学びました。安倍政権が進める道徳教育なんかより、よっぽど意味のある「教育」だったと思います。

 子どもにあらゆる選択肢があれば、ハラスメントや暴力から逃げる手段がちゃんとあればよいのにと思います。担任という枠、学校という枠にとらわれない、種々学ぶためのいろいろな選択肢さえあれば、教え方が下手くそな教師がいても、「ちゃんとしてない」教師がいても何とかなるのではないでしょうか。完ぺきではない多様な教師たちだからこそ、子どもたちが多様な社会を展望できる、かもしれないと。

 夏休みの終わり、自殺者が増えます。日本は子どもの自殺が多くて切ないです。いつか必ず死ねるから、それまで何とか生き抜こう。