そろり、そろり…

所長 毛利 一平

そろり、そろり、マスクをはずす
おずおずと、深く息を吸ってみる
うん、春の匂いだ

 3月13日、唐突な感じはあるのですが、国の方針でマスクの着用は個人の判断に任されることになりました。この原稿を書いている3月末、電車や建物の中はもちろん、公園などでもまだまだマスクをしている人が圧倒的に多いです。

 もちろん花粉症の症状がある方はマスクをつけなきゃしょうがないとは思うのですが、こんなに多くはないですよね。みんなまだまだ「コロナ」を警戒している? それとも日本社会の同調圧力を感じてのこと? だとしたらそれはそれで心配。あ、つけたり外したりするのが面倒くさいだけですかね?

 一挙にマスクを外す人が増えて、またじわじわ患者が増えてくるのではと、ちょっとだけ心配していたので、拍子抜けしたというか、ほっとしたというか。このまま5月、2類感染症から5類感染症にかわるまで、増えないようにと願っています。

 私自身はといえばこの3年間というもの、マスクのおかげで風邪をひくこともなかったし(コロナには一度感染しましたが…)、鼻やのどの調子もずっと良かったので、つらくない限りはマスクをするようにしようかなぁ、なんて思ってます。でも、外を歩くときや公園でもみんながマスクをつけているのを見ると、「それはさすがにやりすぎよ」と思うので、できるだけ外すようにしています。

 皆さんも、花粉症さえなければ、外ではマスクを外して深呼吸してください。風が吹いていればなおのこと、人と話をするときもマスクなしで大丈夫ですから、ね。

 それにしてもこの3年間というのは、いったい何だったのでしょう。

 いま、いろんなところで「社会の分断」という言葉を聞くようになりました。ある人にとっての正しさと、別の人にとっての正しさが対立して、冷静な批判ではなく非難の応酬になってしまう。

 もちろん、これはコロナの前からもあったことですし、とりわけ元アメリカ大統領のトランプさんが出てきたあたりからひどくなっていた気はするのですが、コロナ禍の3年間でもっと大変な状態になってしまったように思えます。

 テレビや新聞など、発信する人が限定される世界ではそれほどでもないかもしれませんが、誰もが発信できるインターネット上では、時々刻々、汚い言葉、激しい言葉が飛び交います。マスコミを介してではない、ふつーの人たちの本音があふれだしているのだとしたら、ちょっと怖いことだと思ってしまいます。

 コロナについても、「そもそも新型コロナ感染症なんてない」という人から「大惨事!」という人までいるし、ワクチンだったら「打て」「打たせろ」から「打つな」「打たせるな」、マスクなら「つけろ」「つけさせろ」から「つけるな」「つけさせるな」まであって、言葉の大乱闘を見ているかのようです。そんなに簡単なことではないのに、まるですべてが「0(ゼロ)」と「1(イチ)」しかないかのようです。皆が自分の気に入らないものに対して敵意をむき出しにしていて、息をするのも苦しいような、そんな気さえしてきます。みんなで一緒に仲良く、というのは難しくなってしまったのでしょうか?

 ひまわりの発熱外来でもコロナの患者を診ることはほとんどなくなってきましたし、診ても以前の風邪と何も変わらない状態になってきました。もう「かかってはいけない」病気ではないと思っています。

 そろり、そろりとマスクを外してみませんか。そして一緒に笑いながらおしゃべりしましょ。きっと、まだ、仲良くやっていけるはずです。