沖縄に行きました
理事長 平野 敏夫
6月23日は、1945年4月に沖縄に上陸したアメリカ軍と日本軍により戦われた沖縄戦が終結した日で、沖縄では戦没者の追悼式が行われます。沖縄戦では20数万人が亡くなり、そのうちの約10万人が一般住民で当時の沖縄住民の約2割が亡くなりました。今年の追悼式では、小学校六年生の山内玲奈さんが、平和の詩「本当の幸せ」と題して、「青くきれいな海 この海は どんな景色を見たのだろうか 爆弾が何発も打ち込まれ 炎で包まれた町 そんな沖縄を見たのではないだろうか・・・」と詩を朗読しました。
沖縄戦は一般住民を巻き込んだ凄惨な戦闘だったと云われています。陸軍病院に看護要員として動員され、自決を含め多くの女子高校生が亡くなったひめゆり学徒隊はよく知られています。また、日本軍にも見放された住民が米軍に追いつめられてガマ(自然洞窟)に隠れ、米軍に投降したら辱めを受け殺されるという教育を徹底して受けていたことで、投降せずガマの中で自決したり殺し合ったりしたのです。
今回沖縄に行ったのは、東京の下町の労働組合を中心にした沖縄反戦ツアーで、戦跡を巡って沖縄戦を学び、辺野古の新基地建設に反対する現地の闘いを支援しようというものでした。
これまで、ひめゆり学徒隊、ガマでの惨状など米軍が上陸した沖縄での凄惨な戦争については一定の知識はあったのですが、今回現場を訪れて「百聞は一見に如かず」、多くのことを学ぶことが出来ました。特にガマの見学は、案内していただいた方のお話も相まって重くひびきました。読谷村にあるチビチリガマでは、140人の住民が狭い洞窟の中に身を隠し、85人が集団自決(強制集団死)しています。亡くなった住民の過半数は子供だったそうです。這うようにして入った洞窟の中は真っ暗で、懐中電灯に照らされた一角には遺骨の一部や自決に使われた鎌などが置かれていました。毒薬が入っていたと思われるガラス瓶もありました。
今回のツアーで米軍が上陸した沖縄戦の戦跡を目の当たりにすることによって、二度と戦争を起こしてはならないという思いを新たにしました。しかし、今も日本は沖縄を犠牲にして、大きな負担を強いています。米軍基地の7割が沖縄に集中し、米軍兵による犯罪が後を絶ちません。アメリカの基準でも危険な基地とされている普天間基地が町のど真ん中にあります。2017年に大型輸送ヘリの窓が落下した普天間第二小学校の校庭を訪問しましたが、校庭が基地と隣り合わせで基地の金網の柵が迫っているのです。そして、県民の民意を無視して辺野古に新基地建設が強行されようとしているのです。連日、土砂を搬入するダンプを止めようと米軍基地前で座り込みが続けられています。土砂を搬出する港でも抗議行動が行われています。戦後74年たった今も犠牲を強いられ、それに対して抗議している沖縄の人たちに、私達本土の人間も無関心でいてはならないと思います。