山口誓子の句からの妄想
MSW 高山俊雄
「夏草に機缶車の車輪来て止まる」という山口誓子の句がある。
この句を知ったのは高校生の頃であったと思う。私の感覚では、汽車がレールを走ってきて目の前で止まったというよりも、文字通り草が一面に生えている草原(くさはら)で、夏の暑い盛りの草いきれが立ち上っている中を、突然向こうから勢いよく機関車が走って来、機関車が「がっしゃん」と大きな音を立てて目の前で止まった。生き物のような大きな車輪からは水蒸気が立ち上がり、立ち止まったとはいえ、煙がまだもうもうと立ち昇っている。そんな夏の暑い炎天下の情景が浮かんでくる。そこにはレールがあるかないかなどは全く気にならない。むしろ、あたりには夏休みで子供たちは家族と旅行に行っているのだろう、誰も見当たらない。機関車の車輪が止まった音だけが辺り一面に一瞬大きく響いたのであった。
何故、この句が特に印象に強く残ったのか分からない。恐らく、当時読んでいた芭蕉の句の中で藤原三代を忍ぶ「夏草や兵どもが夢のあと」があったからではないかと思うが、定かではない。同じ誓子の句で後に知ることになる次の句は別な意味で、忘れられない一句となっている。
「海に出て木枯らし帰るところなし」
この句を知ったのは、評論家佐高信の著書か、氏の発言を聞いての事であったと思うがはっきりしない。私の記憶の中では、ことを為すのに背水の陣をもってあたらなければ、目指す成果を上げることはできないという教訓的なものとして受け止めていた。
この句は第二次大戦末期の1944年の作である(誓子43歳)。このとき伊勢にいた誓子は、その木枯らしを体感して詠んだのは事実であったようだが、この詩(うた)を詠んだ本当の心は、当時の戦争末期の戦局が色濃く反映されていた。つまり、特攻隊に志願し、片道の燃料しか積まずに敵艦に突っ込む前途ある若き青年たちの姿を思い浮かべての句作であったと、後年の誓子が語っている。
私の中で、この特攻隊の句に呼び起こされるのは学徒出陣した青年たちが書き残した手紙を集めて編集された『きけ わだつみのこえ』≪岩波文庫≫の事である。これも高校生のころずいぶん真剣に読んだ記憶がある。自分をその青年たちに置き換えて考えていた。それはちょうど私の出生が1945年4月であって、盛んに学徒が特攻兵として死に急がざるを得ない状況にリンクしていたからであろう。その中には、父母の養育への感謝を述べる人が多くあったが、私の中ではある青年が語った言葉が忘れられない。飛行機が一機空高く飛んでいる。その下では、子供たちが砂場で飛行機の事など全く気にせずに遊んでいる。彼はこの何の変哲もない情景を「これが昭和の絵本なのさ」とつぶやく。勿論彼の想像の中での情景である。平和とはこのことを言っている。ストレートにものが言えない時代の彼の言葉。私にはとても深く響いたのであった。