父と共に闘って

 平成14年6月、私たちの父は「悪性胸膜中皮腫」の診断を受けました。平成13年の暮れより、肺の奥からしぼり出すような咳が続き、春先になっても症状が治まらず、呼吸困難と胸水の増加で入院し、検査を受けた結果でした。

 病名を告知され、1万人に1人程度しか発症しない悪性腫瘍で、非常に予後の悪い病気だと知らされました。そして発症の原因が、多くは石綿(アスベスト)の吸引に関係することも知りました。

 本人も家族も、何故、このような特殊な病にかかったのか、本当に病名に間違いはないのか、ただ呆然とするしかありませんでした。石綿とは何なのかすら、ほとんど知らなかったのです。

 医師から職場環境の質問を受けているとき、ふと家族の1人が、職場である店舗の2階の倉庫の床に薄い青がかった灰色の繊維状の固まりが落ちていることを思い出しました。倉庫の壁に吹き付けてある固まりが劣化して剥離して落ちていたのです。

 すぐに店舗の貸主側に吹き付け材料にアスベストが使用されていないか問い合わせたところ、一切使用していないという答えが返ってきました。どうにも納得がいかなかった私たちは、インターネットを検索し、「関西労働者安全センター」の石綿被害相談窓口に連絡を取り、詳しい調査を依頼しました。

 その後、倉庫の繊維のサンプルを採取し、専門家による調査が進められた結果、平成15年4月に最も発ガン性の高いクロシドライト(青石綿)が検出されたのです。なぜ、このような危険なものがむき出しになっている店舗が長年にわたって賃貸されていたのでしょうか。


 私たち遺族がぜひとも伝えたいこと、それは、アスベスト被害というのは「特別な場所で限られた人々だけが受ける、特別な被害」ではないのだ、ということです。

 私たちの父は「アスベスト工場に勤務していたわけではなく、その工場周辺に居住していたのでもなく、安全だと信じていたごく普通の環境の中で働いていた一般人」だったのです。


 父が発症した「悪性胸膜中皮腫」は、治療法も確立されておらず、進歩した現代医療においてもおそらく最も治療の難しい病の1つです。その病と闘う日々の中で、数々の医師の方との様々な出会いがありました。

 患者を積極的に受け入れ、治療法の確立に向けて熱心に研究活動を進めておられる医師の方々がおられました。その一方で多くの医師は、この病についての治療を放棄しているというのが現実でした。

 最後の最後まで「家族のためにがんばる」と病に対する闘争心を持ち続けた父が、追いすがるように医師の背を見つめ続けていた姿が今も目に焼きついて離れません。

 これからも悪性中皮腫患者は増加の一途を辿ることが予想されます。医師の方々には、悪性中皮腫という難病の標準治療法の早期の確立に向けて、真摯に取り組んでいただきたい。そして、何より不安に怯える患者を真正面から受け止めてもらいたいと思います。


 父が亡くなってからあっという間に1年が過ぎました。父は、店の前を通る小学生のために毎朝必ず8時前から店を開けて準備するような人でした。ただただ真面目に誠実に生きた人でした。その父が最後に「俺の人生は一体何だったのか」と無念の涙を流しました。その問いに家族は何も答えることができませんでした。

 今回、名取雄司先生をはじめ、多くの関係者の方々のご尽力で、国内で初めて吹き付けアスベストによる環境曝露と悪性胸膜中皮腫発症との因果関係が医学的に立証されることとなりました。

 父もきっとこの結果を喜んでくれていることでしょう。

 また、残された家族としても、父の問いに少しは報告できる答えを出せたと思います。そして父の死が無駄にならないように、国や企業は強力なリーダーシップを取り、アスベスト被害で亡くなった人や今も苦しんでいる人たちを一日も早く救済するとともに、アスベスト被害の拡大を最小限に食い止めるように努力していただきたいと思います。

 父を死に追いやった灰色の粉は、今この時も何の対策も講じられることなく放置されたまま、不気味に降り積もっています。

 もはや一刻の猶予も許されはしないのです。


-追記-

 今回、このような場(紙面上)をお借りして、父との闘病中に家族が経験したこと、感じたこと、現在の胸の内などを、ありのままにお話させていただきました。

 今後は静かに亡父の冥福を祈りつつ、アスベスト被害に対してどのような対策が取られていくのか冷静に見つめ続けて参りたいと思います。

 マスコミの皆様には、遺族への取材についてご遠慮いただくとともに、店のある商店街の取材につきましても除去工事等による解決までご遠慮いただけますようお願い申し上げます。

平成17年8月22日

遺族一同