ひらの亀戸ひまわり診療所
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2017年新年号 第97号

『病の神様』

鍼灸師 富永 純枝

 友人のススメで横尾忠則氏の『病の神様』という本を読みました。

 自称「日替わり病」というくらいさまざまな病気やけがを経てこられた氏の病歴エッセイです。美術家としてのエネルギーあふれる作品とは裏腹に幼少から体が弱く、原因不明の熱、喘息、過換気症候群、顔面神経麻痺、帯状疱疹など色々な病気にかかりますが治り方も劇的。

 夜の〈しじま〉に聞こえる「シーン」という静寂の音に感動していると、それがだんだんひどくなってきて実は耳鳴りだったという話や、お父さんが危篤のとき急に大福を食べたいと言い出し、医者に「食べたら死にますよ」と言われたが、どうせ助からないからと買ってくるとペロッと二つたいらげて、その後10年生きたという話や可笑しいエピソードが満載です。image

 さらに10年に一度事故を起こすというジンクスがあり、タクシーで追突されたり、風呂場で転倒して骨折などで入院したりします。二回目の事故でのむち打ちで二か月入院したあと脚の動脈血栓になり、あわや「足を切断」の危機に陥りますが、鍼灸あんまの先生のおかげでずいぶん回復。最終的に歩けるようになったのは友人である三島由紀夫氏の死がきっかけでした。訃報の知らせに驚いて思わず車いすから立ち上がってよろよろとご自宅にかけつけたそうです。「僕の意識が一瞬足から離れて他に移ったその瞬間に僕は病人から健常者になった。」

 そんな経験を経て「事故が起こるたびに僕は大きな転機を迎えて、仕事のマンネリズムから脱却できている。完治するまでの間、じっくり自分を見直す時間が取れ、多忙な毎日で見失った自分を取り戻すことができ、さらに次の作品に大きな変化が生まれた。」と言います。 病気になると「すぐ死ぬ」と思う悲観的な部分と、病気って案外いいもんだなあと入院生活を愉しむ楽観的な部分を同時に持ち合わせる感受性は芸術家ならではかもしれませんが、「多病息災型」と自己分析し「病気は神様が下した大きな愛かもしれない」という言葉の背後には大変な思いを乗り越えてこられた氏の大いなる存在に対する感謝の気持ちが表れているようです。

 先日、患者さんが「何か症状が出ないと普段身体に注意を向けるなんてことないですわね。ありがたいわ。」と横尾さんと同じようなことをおっしゃっておられました。80歳を超えてもはつらつとしていらっしゃるお元気の秘訣はそういう考え方にあるのかなと思いました。鍼灸師になって良かったと思うことの一つに、自分と同じように具合の悪い患者さんがたて続けに来られると、この症状も季節的なものかなと思えてなんとなく安心する事があるのですが、そんなホッとする感じが読んだ後に残ります。

 整体の世界にも「病いは治すものではなく経過するものである」という言葉があります。子供が高熱を出すたびに丈夫になっていったり、腰痛持ちの人が風邪を引いた後は腰痛が治まるというように、いろんな症状は体の大掃除であったりもします。一番辛いのはその症状が経過するまでの時間。情報が溢れ何事にもスピードを求められる時代、身体を信じて「待つ」という姿勢はとりわけ忍耐力が必要なのかもしれません。いつ治るのだろうという不安感はさらに症状を悪化させる原因にもなります。ひまわり診療所はあまり行列ができない診療所ですので、どの先生もじっくりお話を聞いてくれます。不安に思うことはなんでもご相談ください。(ときには先生がお話を聞いてほしいこともあるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。)

 今年も少しでも皆様のお役に立てればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

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