小さいころの夏の思い出と言えば、やはり、祭り、盆踊り、両国の花火、灯篭流しであろう。私の育った中央区佃島というところは、小さな島であるが、夏にはいろいろな行事があった。もっとも両国の花火は島の行事というわけではないが、隅田川に護岸などなかった時代で、隅田川の辺りにゴザを敷いて「タマヤー」「カジヤー」とやっていた。今回はその中でも、印象に残る祭りの宵宮の思い出に浸ってみたい。
まず、夜店のことに想いを馳せてみよう。今とは違う店と言えば、お新粉細工。上新粉にいろいろな色を付けた色取りのある新粉と白い新粉とで、動物や花などの形を作る。色とりどりの新粉は、食べるよりもそれが作られる過程を見るのが楽しい。細工はいらないという人には、「爆弾」というものがあって、これは新粉の中に蜜を入れて丸め、黄な粉をまぶして食べるというものだった。案外新粉の弾力性と蜜の甘味で子供としてはおいしかった。似たもので、飴細工がある。飴は屋台の真ん中の陶器のような入れ物(ホーローびきの鉄であったかもしれない)に入っていて、恐らく下から温めているのであろう。温めて飴が伸びるようにし、それでいろいろな形を作る。形を作ると何種類かの紅を付け、体裁を整える。それが人形であったり、動物であったりする。これも見ている方が楽しい。
次は針金細工である。細い針金を駆使して自転車や自動車、機関車なども作っていた。簡単なものでは輪ゴムを弾にする鉄砲があった。元は針金なのに、それが細工をする中で、徐々に変化していく。その過程が面白い。職人のおじさんは、ゴザを敷き、その上に赤い毛氈を敷いて座り、作ったものを毛氈の上に並べていく。作られた材質は針金だが、赤い地の上に置かれると、別の材料で作ったような気品がある。だからいくつもの作品が並べられ、長い時間見続けても飽きることがない。
最近の祭り等での香具師は、こうした職人が廃れ、ほとんどが誰でもできる焼きそばや、たこ焼き、鉄板焼き、ヨーヨー釣り、金魚すくいであって、見ていて楽しいものは全くない。時代が変わったのだと言ってしまえばそれまでだが、いささか寂しさを禁じ得ない。
さて夜店から離れての思い出は何と言っても夜神楽だろう。神社の神楽が歴史ある田楽、猿楽とどのような関係にあるかはよく知らない。ただ、そのストーリーを思い出すと、能楽の世界にも似ている感じがするし、歌舞伎に近いものもある気がする。能楽は、亡くなった人と現在生きている人との交流が描かれる。亡くなった人の怨霊が強く、その怨念が現世の関係者に語られる。その語りとの交流の中で、怨霊が浄化され、魂が静謐な世界に入っていく。笛と太鼓は神楽に似ているが、能楽では太鼓ではなく、鼓である。一方の神楽は、大太鼓を細長い竹で叩く。鳴り物が違うと言えば大いに違う。又、厳粛さの違いも随分違う。神楽は能楽のように謡がないので、ストーリーが分かりにくい。ある夏の神楽では、そのストーリーを解説しつつ物語が展開されるという場面に出くわした。とても良くわかって楽しかったが、そんな体験は一度だけであった。