夏休みにポーランドに行ってきました。そしてアウシュヴィッツに行きました。アウシュヴィッツは、ナチスドイツが第二次大戦中に建てたユダヤ人や政治犯などのための強制収容所です。ポーランドの南、チェコとスロヴァキアとの国境近くにあるオシフィエンチム市に第一収容所、隣接するブジェジンカ村に第二収容所があります。ナチスは、第一収容所をアウシュヴィッツ、第二収容所をビルケナウと呼びました。この収容所でユダヤ人ら150万人が殺されたことが慰霊の碑に書かれています。28棟あった第一収容所がほぼ当時のまま保存され博物館になっています。
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という文字が掲げられた入口のゲートをくぐって、博物館の中に入ると、資料や被収容者から没収した品々が展示されています。おびただしい数の靴、メガネ、カバン、毛髪などがガラス越しに見ることができます。毛髪は布に織って本国に送られていました。被収容者が殺された集団絞首台やチクロンガスによる大虐殺の場となったガス室、遺体が焼かれた焼却炉も当時のまま残されています。
第二収容所のビルケナウは、広大な敷地に300棟以上の収容施設がありました。馬小屋の建材をそのまま移設したもので、保存されている施設に入ると、まさに馬小屋で蚕棚のような木造の「ベッド」、床に穴をあけただけのトイレ、暖房も形だけという極めて不衛生な環境でした。人体実験も行われていました。まさに殺人工場だったのです。見学後、このような殺人をドイツ本国の人たちは知らなかったのか?と案内してくれたポーランド人のガイドに聞いてみました。彼が言うには、収容所にはドイツ人の理容師などの一般人が出入りしていたので知っていたはずだと答えていました。
折しも日本では、7月29日麻生太郎副総理が、あるシンポジウムで、ナチスを引合いに出して「・・憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と発言して物議をかもしました。無関心でいるうちにどんどん変わっていくのが最も怖いと思います。
ナチスに対して戦ったドイツの牧師マルティン・ニーメラ-という人の詩があります。
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、
私は声をあげなかった)
私は共産主義者ではなかったから、
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、
私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、
私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、
私は声をあげなかった
私はユダヤ人などではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人としていなかった