首相官邸前、国会前、霞が関の路上で人々が連日声をあげている。原発再稼働にとどまらず、TPP、オスプレイ配備に人々は集まって声をあげる。私は原発再稼働反対の行動に7月から加わった。
あの日初めて国会議事堂駅に降り立ったとき、駅構内に身動きの取れない人々の多さに、あらためて人々の関心の大きさに驚いた。やっと地上に出ると、数万の人々が路上にギュウギュウ詰めの状態であふれ、国会を取り囲み、全身で怒り、「再稼働反対」を叫んでいる。思い思いの手作りプラカードがあふれ、フライパンなどをすりこぎ棒で叩いている人もあちこちにいた。風もない蒸し暑い中で路上に詰め込まれた人々は苦しい。冷たい水を配るボランティア。「具合の悪い人はいませんか?」と声をかける医師ボランティア。弁護士も巡回している。子ども連れの若い人も多い。
野田首相と脱原連の話し合い、少し希望も持ったりしたが、甘くはなかった。
大都市の長である二人が国政参加を表明し、政党を作るにあたって原発に対する意見の表明があった。二人の意見を整理すれば両者の主張には相違があり、それを片方は「小異である」と発言した。しかし仮にも一方は「脱原発」を主張し、他方は「原発は必要」と言った人だ。二人は東京や大阪に原発があったら「小異」などと言えたであろうか?
最初の参加から半年が過ぎた。金曜の国会周辺には、それでも数百人の人たちが集まる。私は、自分を飽きさせないために、立ち位置をあちこちに移動する。今はドラム隊(鼓笛隊かな?)に付いている。名前の知らない色々な打楽器。フルート、トランペット等々若い音楽家集団が集う。そして素人のフライパンやブリキ缶を叩く人、そして取り巻く私達。小さなドラムを持つ青年が、大きくバチを指導者のように大きく指揮者のように振り上げている。その瞬間「再稼働反対!」と大きく叫ぶ。リズムに合わせて繰り返す。国会議事堂の夜空に力強い音楽となって鳴り響く。踊りだす人もいる。ここに来ると、患者さんや知人に声をかけられたり、見ず知らずの人も含めて気持ちを共有できることは嬉しいし、励まされる。
「家に帰りたーい。でも・・・帰れない。」と切なく泣き叫んだ南相馬の婦人の声が忘れられない。首都圏に暮らす人間として声をあげ続ける責任を放棄してはならない。
人生後半に差しかかった私だけど、これも社会貢献になるかなあ・・・この場所に来ることが・・・。