ひらの亀戸ひまわり診療所
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2012年4月1日 第78号

【放射能から子供を守る健康相談会に
参加のお母さんの手記】

ふたつのリアリティー ~福島と東京と~

 もうすぐ3・11から一年になる。振り返ればこの間は人生最大の転換期といってもいい。地震当日、家屋の損壊から避難所に入り、原発事故発生数日後、子どもを連れての東京への避難。生活再建のための区役所生活相談、住居確保のためのアパート探し、不動産めぐり、物件下見、転居の段取り、知人をつたっての仕事探し、採用面接。これらが東京に着いてからわずか10日ほどでこなした時の時間とエネルギーの流れは、まさに神がかっていた。よくぞ自分のなかにこれだけの力があったと思う。今にして思えば、それまでの波乱に満ちた経験がここぞとばかり活かされたのかもしれないが、たくさんの方の助けがあればこそ!成し得たことだった。だから、私は本当にいま生かされていると感じ、あらゆることに感謝したいと思う。
 さて本題はここからである。
 東京での生活が、時の流れの中で馴染んでくればくるほど、はっきりと感じるもうひとりの私がいる。日は昔のことを忘却の彼方に・・・という表現で忘れ去ることがあるが、私の場合、ふとした瞬間に、福島での暮らしがありありと思い出されるのだ。たぶん、震災によって起きた予期せぬ展開に、身体はなんとかついてきたものの、こころは相当に戸惑っていたに違いない。そして懐かしい匂いや季節の風を探してさまよう感覚も、どうしていいものやら、戸惑っていたのだ。それを私は、喪失感によるリアリティーと名付けた。
 これは、いきなり故郷を離れざるを得なかった者のみが感じるものかもしれない。または、何かの事象によってもの凄い自己喪失感を感じ、この世の不条理にさらされたもの(たとえばDV被害やセクハラ被害、あらゆる差別問題などで)が感じるものかもしれない。
しかし私は思うのだ。ひとたび落ち込んだとしても、こんなことではへこたれないぞ!と。
 あの地震でぐらぐらと揺れる家から持ち出した唯一の家族写真。もう他界したけれどここに映っている母や祖母たちは、戦時中の殺伐とした厳しい時代をくぐり抜け、命からがら満州から引き揚げて生還したのだ。母や祖母たちの生き抜こうという力は、きっと私の中にもあるはずなのだ!それを信じなさい!と。 今ここにいる私は、その傷ついたリアリティーを乗り越えてきた私だ。時にどうしようもない喪失感におそわれるけれど、いまなら笑って自分に言える。「そのままでいい。ただ生きている喜びを感じて、まわりの人とつながって歩いていこうよ・・。」

2012・2・19
星 ひかり

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