ひらの亀戸ひまわり診療所

ひまわり診療所 所長 平野敏夫

 この6月でひまわり診療所が発足してちょうど20年になります。人間であればちょうど成人になります。開設の時は亀戸駅の北口から歩いて1分のところにあるビルの2階でした。もともと産婦人科をやっていた診療所を居ぬきで借りたのです。オープンの2週間くらい前に開設記念のレセプションを開き大勢の方に参加していただいたのですが、この時は改装がほとんど出来ておらず、出来上がった診療所を期待してこられた方々は、オープンを間近にして工事中の雑然とした診療所を見て唖然とすると同時に不安と驚き、半ばあきれてお帰りになったようです。当の本人である所長は、持ち前のいいかげんさでほとんど危機感を感じてなかったのですが・・・・・。

 実は発足に際してほかにも大きな難関がありました。診療所の名前が東京都の医療機関の認可をする委員会でクレームがついたのです。「ひまわり」という命名が問題だというのです。なにが問題かというと、「ひまわり」という命名は診療所のイメージアップを狙っており、そのような命名は他の医療機関と集客(患者?)に差をつけることになるので認可できないというのです。本気で言っているのかと疑ったのですが、いくら話し合いをしても平行線で、都庁がまだ有楽町にあったころですが、担当者と怒鳴り合いをしたものです。その後紆余曲折があってひまわりという命名は認められたのですが、開設者の名前をつけるという条件つきでした。それで正式な診療所の名前は「ひらの亀戸ひまわり診療所」となったのです。診療所は個人のものではなく地域に開かれた、住民と働く人たちのための診療所という思いがあったので「ひらの」をつけることには抵抗があったのですがやむを得ず了承したのです。

 あれから20年。地域の住民の皆さんはもちろん、茨城と福島の常磐炭鉱で働いてじん肺になった元炭鉱労働者や建設現場で働いてアスベストを吸入しアスベスト肺や肺がんになった建設労働者などの労災職業病の被災者、保険証がない外国人労働者、小零細企業で労災にあったにもかかわらずろくに補償されずに困っていた外国人労働者、隅田川の土手で暮らしている路上生活の人たちなど多くの方が診療所を受診しました。地域の患者さんを診るだけでなく、今の世の中で割を食っている人たちが「とにかくあそこに行けば何とかなる」診療所を目ざしてやってきました。そして割を食っている人たちが声を出せる、自分たちの生活を良くするために行動できるようにサポートする診療所を目指してきました。これからも10年、20年、割を食う人がいない世の中を作るために少しでも貢献できるような診療所活動を進めて行きたいと思います。

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