ひらの亀戸ひまわり診療所
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2017年秋号 第100号

人生後ろ向きでいいんじゃない?
— ボクのボート的人生論 —

所長 毛利一平

 その先にある冬のことを考えてしまうからでしょうか、どうも秋は好きになれません。日を追うごとに短くなる昼の長さが、どうにも気分を沈ませてしまいます。こんな時は、お鍋のぬくもりだとか、雪の白さだとか、冬の良いところでも思い浮かべればよいのでしょうか。いっそのこと、冬のその先の、春の暖かさを思い浮かべましょうか。

 ま、いろいろと物思いにふけるにはよい季節なのかもしれません。コーヒーでも入れて、哲学してみましょうか。

 少しずつですが、訪問診療に出かけることが増えてきました。ゆっくり自転車で、時にはてくてく歩いて、片道20分ぐらいまでなら出かけてゆきます。

 診療所から南に下ってゆくと、小名木川に当たります。東陽町にある医師会まで出かけるときは、この川に沿って歩きます。ずいぶんまっすぐな川だなぁ、と思っていたのですが、なるほど、もともと運河だったんですね。

 この夏、いつものように小名木川に架かる橋を渡っていたら、四人漕ぎのボート(図)が川面を進んでいるところに出くわしました。どこかの大学のチームのようです。アメンボのように静かに、すいすいと進んでいく様子を見ていて一気に昔に引き戻されました。

 大学時代、ボート競技の選手でした。友人たちからは「ガレー船(大昔の、たくさんの奴隷が漕ぐ軍艦)」だとか、「頭の中まで筋肉」とか悪口を言われながらも、日々トレーニングに励んでいました。

 当時はほとんど意識したことがなかったのですが、ボートという競技、なかなかに哲学的です。

 なんといっても、横並びで順位を競う幾多の競技のうち、たぶんボートだけが後ろを向いて(常にスタートを見ながら)、ゴールを目指します(舵手が前を向いてはいますが)。オールを漕いでいる間、ゴールは見えませんし、とにかく自分たちを信じてゴールまで漕ぎ続けます。

 目の前にあるのは、かすかな自分たちの航跡と遠くなっていくスタート、そして一漕ぎごとに重なってゆく景色。それらがやがて来るゴールを予感させてくれるから、漕ぎ続けられる。

 ゴールに向かって進めば、最後に見える景色はゴールそのものでしかないのですが、スタートを見ながらたどり着いたゴールでは、なんとも広がりのある景色を目にすることができます。しかも、ゴールが遠ければ遠いほど、その景色は雄大です。

 長くて苦しい練習も、そんな景色を見ることができたから、耐えられたのかもしれません。

 人生もまた同じかもしれません。

 若いころは自分で遠くに大きなゴールを描いて、そのゴールに向かってがむしゃらに進んでいました。でも、年を取って、いつの間にかゴールが見えなくなって、どっちに進めばいいのかわからなくなった時、頼りになるのはやはり自分が歩んできた景色です。

 ボクはこうしてきた。ここまで来た。だからこれからもこうしてゆく。そんな風に考えられるのも、悪くはないかなと思います。ん。人生後ろ向きでちょうどいいかも。

 さあ、もっともっと遠くまでゆきましょう。新しく重なる景色を楽しみにして。

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ふざけてはいません。
私の絵はこれが限度です。お許しください。(毛利)

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