ひらの亀戸ひまわり診療所
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2017年夏号 第99号

有酸素運動

MSW 高山 俊雄

 よく有酸素運動がダイエットや心肺機能の改善に効くなどという事を耳にする。私はこの言葉を聞いた当初、一体有酸素運動というのは、一般的な運動とどう違うのかが分からなかった。ただ、一方で有酸素運動があるのなら、当然、無酸素運動というものもあるのだろうと考えていたが、無酸素運動を想像すると、息を止めて運動をすることくらいしか頭に浮かばなかった。恐竜

 ある時、テレビを見ていてかつてのオリンピアンで400mを専門にしていた高野進氏の話を聞く機会を得た。高野氏は日本最初のオリンピック女子のメダリスト・人見絹枝さんの話の中で、この問題を説明してくれた。通常100mと200mの一流選手は、ゴールまで全く息をすることなく走り切るのだという。しかし、自分の専門である400mとなると、とても息継ぎなしで走り切ることは出来ないと。人見絹枝さんは、もともとは100mと200mの短距離選手、更にやり投げ、砲丸投げ、円盤投げ、走り幅跳び、三段跳びなど女子でも可能な種目をほとんどこなしていたが、長距離は専門ではなかった。ところが、1928年第9回アムステルダムオリンピック大会で女子競技として認められていたのは、100m、800m、走高跳、円盤投げ、400mリレーの5種目であった。この大会は彼女一人の参加の為、リレーを除く全部の種目にエントリーしていたものの、専門でない800mはほとんど練習もしておらず、走る予定はなかったという。ところが、100mでは決勝に進出することが出来ず、他の種目も、成績は悪かった。そこで、残った800mを走ることを決意したというのである。

 ほとんど練習もしていない競技への出場。高野氏はこの部分を説明したかったようだ。要するに、呼吸法が違うというのである。それは単に違うという事だけではなく、そうした呼吸法は、練習を重ねることによって走ることが出来るようになるという。人見さんはこの出場で、2位となり銀メダルを獲得したが、ゴール地点では、1位の選手ともども倒れこみ、動くことすらできなかったようだ。これ以降、オリンピックでは女子に800mはきつ過ぎるとして、約30年間、競技種目から外されたという。又、人見さんはこの後、国内、世界の別なく大会に参加し続け、過労のため結核となり、24歳の若さで亡くなられたという。

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