ひらの亀戸ひまわり診療所
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2017年夏号 第99号

「こんな人たち」 でごめんなさい

所長 毛利一平

 毎日診療所までかよう道のり、電車に乗ってる時間が一時間弱あります(今のところ武蔵野市在住です)。

 まとまった時間ではあるのですが、かなり混み合うので特別なことができるわけではありません。たいていはスマホで新聞やニュースを見ることが多いです。揺れる電車の中で小さな画面の文字を追いかけるのは目の健康上あまり良くないとは思いますが、いろいろと気になるニュースもあって、ついつい追いかけてしまいます。

 今年の前半は国会から都議選と、どうも政治がらみの話題で気になることが多かったですね。

 「もり」だとか「かけ」だとか、「お蕎麦の話ですか?」なんて冗談にされてしまうことなんかもありましたが、私が気になったのは、いわゆる「共謀罪」の話です。

 「テロのような重大な犯罪を、計画の段階で食い止めるために必要」な法律だそうですが、まだ起こっていない、計画段階の犯罪を見つけるためには普段からいろいろと目を光らせておかなければならないわけです。そうなると、監視社会になってしまうのではないか、戦前、治安維持法があったころのような、密告や冤罪がまかり通るような世の中になってしまうのではないか、そんな識者の意見を聞いていると、この先本当にどうなってしまうのだろうと不安になります。

 「監視社会」と聞いて、私には忘れることのできない経験があります。

 大学1年か2年の時でした。若者らしく政治に目覚めていた私は、ある政党の青年組織に所属していました。

 その日、選挙の応援のためみんなと一緒に「メガホン隊」として、大津市の路地裏をうろうろしていました。で、別に何を考えることもなく、S県警本部の裏道を通り過ぎようとしたその時のことです。人の気配を感じて少し上を向いた私は、カメラを手にした警察の人が塀の後ろに消えていくのを見ました。ええ、確かに。

 「写真撮られちゃったよー!?」。私はみんなに向かって言いましたが、みんなは大して気にも留めない様子。「ほんと~?」、「ふ~ん」なんて感じで先に進んでゆきます。

 私も平静を装ってはいましたが、内心穏やかではありませんでした。「あの写真、どうなるんだろう」、「毛利一平は“そういう人”ってばれちゃうわけ?」、「将来、いろいろな場面で不利になるようなことがあったらどうしよう」、そんなことを心配していました。実際、そんな不安は、学年が進み、進路を具体的に考えるようになればなるほど大きくなってゆきました。

 結局、私自身に限って言えば、それは杞憂に終わりましたが、周囲では現実となったこともありました。私もあからさまに不利益を受けたことこそありませんでしたが、「どこかで誰かに見られているかもしれない」という意識から、ずいぶんとおとなしくなっていたかもしれません。別に悪いことなど何もしていないのに・・・です。

 あの時の「写真」は、つまり、私を黙らせるには、結構な効果があったというわけです。

 気づいていただきたいのですが、こうした話はまだ「共謀罪」など影も形もない時の話です。にもかかわらず私たちの社会には有形無形の「監視」が、まるで組み込まれているかのように働いている、だったら「共謀罪」後に何が起こるのか、そのことをよくよく理解しておくべきではないかなと思うのです。

 それでも「監視社会なんてありえない」、そう思われますか?

 都議選投票日の前日、安倍首相は自らの演説に対して、「安倍はやめろ」などの声を上げた人たちに対して、「こんな人たちに負けるわけにはいきません!」などといいました。「やめろ!」という声に対しては賛否があるようですが、何よりも様々な立場の人をまとめなければならない一国のリーダーが、自分を非難する人たちに対して壁を作るかのように、「こんな人たち」などという言葉を使ってはいけなかったと思うのです。

 実際、あの時声を上げた人たちに対して、ネット上ではすでに「反社会的集団」などというレッテルが張られています。声を上げただけでそんなふうにいわれるなんて、どう考えてもおかしいと思うのですが。

 その場にこそいませんでしたが、私もたぶん「こんな人たち」の一員です。安倍首相には申し訳ないですが、何かと声を挙げなければいけないな、と思ってます。黙っていることで取り返しのつかない結果を招くことがあることを、私たちは知っていますから。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、
私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、
私は声をあげなかった
私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、
私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、
誰一人残っていなかった

~マルティン・ニーメラー(ドイツの教会指導者)

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