ひらの亀戸ひまわり診療所
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2013年1月 第81号

Uさんへのインタビュー

(インタビュー高山)

高:Uさんはどこのご出身ですか? そして、どんなお仕事をされていたのですか?

U:北海道です。最初は室蘭の電機会社にいました。一緒に働いていた仲間が東芝に行かないかと誘われて上京しました。そこから三重県の火力発電所に出張を命ぜられて行ったのですが、タービンを回す室外トランスを作るのに、土台を鉄骨で作っていた時に、バランスを崩して10m位の上から落ちてしまいました。たまたま張っていた線に引っ掛かり落下しましたが、3日間意識不明でした。以来、首から下の脊椎の骨が変形して、ひまわりでも定期的にハリやAKAをやってもらっています。

高:それからどうされたんですか?

U:一度北海道に帰ったのですが、動けるようになってから再度上京しました。今度は運送屋です。その時に住んだ会社の寮が深川でした。:その後、神奈川の派遣会社に勤めました。派遣会社では建設現場への派遣です。

高:派遣会社というと、現場で働くためにいろいろな資格が必要でしょ。

U::ずいぶんいろいろな資格を持っていますよ。例えば、ユンボの掘削と解体の資格。重機運転の資格。高所作業者の資格。締固めの資格。移動式クレーンの免許。等です。

高:そんなに資格を持っているUさんがひまわりに繋がったのは、路上生活をしていた時だったように思うんですが。

U:実は、すこし会社といざこざがあってそこは解雇されてしまいました。その後、再び別の派遣会社に勤務したんです。この派遣会社にも寮があるという事だったんですが、一杯だったんです。それで仕方なく、上野で3週間ぐらいダンボール生活をして仕事に通ったんです。それで給料を貯めてアパートを借りたんです。だからダンボールにいた時は、炊き出しには行かなかった。そのころ、ダンボール仲間から台東区の築山で医療の相談を無料でやってくれるという話を聞きました。それで行ってみると、血糖値を計ってくれたり、胃の薬をくれたり、ハリをやってもらったりしました。お医者さんからは、病院に行くようにと紹介状まで書いてもらいました。でも私は医者に行きませんでした。

高:どうして?

U::仕事に行けたし、稼ぐことができたからです。

高:それでどうやってひまわりに繋がったんですか?

U::何回か築山に行った時に、レントゲン車が来ていて相談に乗っていた人が、高山さんを紹介してくれたんですよ。この時にお医者さんが血圧を測ってくれていて、それが202/198?だったんです。それで直ぐにひまわりに行くようにと。

高:最初に紹介状を書いてもらってからひまわりに来るまで、どれくらい経っていたんですか?

U:1年位だと思います。ひまわりで高山さんから「福祉事務所に一人で行けますか?」と言われて考えたんですが、どうも自分は相手が気に入らなくなると「もういいや!」と投げ出してしまうところがあるので、「一緒に行ってください」と言ったのです。

高:あの日は、雪が降っていましたので、良く覚えています。それで落ち着いたと思っていたら、今度はあの震災でした。

U:そうです。もともと自分が住んでいたアパートは、エアコンがあるという話だったのになかった。そして震災で壁に亀裂が入っていたり、全体がゆがんでしまっていた。管理会社に何とかして欲しいと言ったら、亀裂だけは直したけれど歪みは直さない。丁度更新の時だったし、自分がいろいろとうるさいことを言った関係で、管理会社は更新しないという文書を送ってきた。それは良いんだけれど、その文面に、自分が出た後の部屋のクリーニング代を支払えと来た。その支払いの了解を含めて更新をしない事の了承文書に判をつけという。自分は納得できなかったので、高山さんに相談したんです。pix

高:そうですね。あんな話はないですね。ですから私は、クリーニング代の部分を削除して、向こうの文書を改めて打ち直して送ることにしたんです。携帯番号も変えた方が良いとも言いました。

U:管理会社がどうも普通の会社じゃない。そこと太刀打ちするには、証拠が必要なので、携帯の録音をしながら電話をかけていましたね。

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