ひらの亀戸ひまわり診療所

東北関東大震災と私事

高山 俊雄

 長い揺れだった。いつものようにひとしきりの揺れを我慢すれば過ぎ去るものと思っていた。母親が特養ホームに入所中で1年経過したので、次の年度計画の話し合いの最中であった。余震は何度もあり、それも強い揺れであった。結局施設から自宅までほぼ5時間かけて歩いて帰った。京葉道路を千葉方面に向かう長蛇の列は、どこまで続いているのかと思わせるほど。誰かが言った。「メーデーの帰りと思えば良いんだ。」と。

 翌日夜8時頃、自宅の電話が鳴るのを取ると、昨日の施設から。「お母様の意識がなくなっています。救急搬送を希望する病院があればおっしゃってください。」という。90歳で寝たきりの母親の選択権は放棄し、救急隊に任せることにした。30分ほど後の連絡で搬送先は港区の大きな病院であった。慌てて、夜9時頃に病院に着き、医師から説明を聞く。CTでの説明では、相当量の出血が認められた。手術をするのかどうか、決断を求められた。私は、年齢相応の人生の終え方をしたいと話していた母親の言葉を思い出していた。出血は取り除かなくとも吸収する場合も多い。結局、手術しないことにした。

 それにしてもと思う。脳出血とあの大きな地震に関係は無かったのだろうかと。寝たきりとはいえ、話せなかったわけではない。あの大きな揺れと余震は大変なストレスではなかったかと思えてならない。そんなことを考えながら、避難所の皆さんの様子をテレビにかじりついて見る。いつもと違う生活でのストレス。頑張って欲しい。

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