ひらの亀戸ひまわり診療所

インタビュー 高山

【77歳男性Aさん。42歳の時に脳梗塞にて右半身麻痺。リハビリ訓練の後、レザークラフトの学校に行き、レザークラフト作品を販売。レザーの先生になり現在に至る】

【問】発病前は何を?

【答】中古車の販売でかなり儲けたね。殆ど毎日のようにキャバレー通い。

【問】病気が発生したときのことを覚えていますか?

【答】忘れられないね。冬の休日で、釣りが好きなので、外房に行った。場所が取れなくて袖ヶ浦に寄った時、車を止めた途端、右腕が動かなくなった。降りることも出来ない。困っていると、ふっと回復。それでバス通りに出たらまた動かなくなった。他の車が物凄いスピードで走っている感じで怖かった。車を何とか止めたが誰もいない。丁度向かい側にスタンドがあり、人に分かるようにライトを点滅したり、クラクションを鳴らしたり。やっと人が来て、救急車を呼んでくれた。ところがついた病院が胃腸科でね。とりあえず入院したけど、親戚の人が来て、都立墨東病院に頼んでくれて、脳外科に転院することが出来た。

【問】墨東病院はどのくらい入院を?

【答】一週間ぐらいだったかな。その後は、医療相談室のケースワーカーの方に国立の箱根療養所を紹介されて移りました。

【問】そこではどのような訓練を?

【答】理学療法、作業療法と受けましたが、作業療法の先生の友人がレザークラフトをやっていて、道具が少しあったので、それをやりました。それと恐らく幸運だったと思うのですが、主治医が車の免許を持っていると話すと、わざわざ、東京の自宅から運転してきて、私に練習させてくれたのです。この先生は、お父さんが日中貿易にかなり貢献された有名な方だと伺いました。

【問】病院での訓練だけでは、仕事につながるとは思われなかったでしょ。

【答】最初、家に帰って妻に革を買ってきてもらい、木槌を右手に包帯で縛りつけてやっていました。少し出来るようになったので、レザーの学校に行きました。週1〜2回で2年ほど通いましたね。通うのに、病院での車の訓練が本当に役立ちました。

【問】学校での訓練の後は?

【答】墨東病院の相談室にもっていき、世話になった相談員の方に見てもらったところ、上手くできているとのことで、看護婦さんたちに販売してくれることになったのです。最初はハンドバッグが7つくらいあったかな。もちろん彩色してあります。それが売れたんですよ。これがとても励みになりましたね。もしかすると、これが仕事になるかもと考えた最初。それで、展示即売会をやったらどうかという話があって、病院の場所を貸していただいてやりました。

【問】今はどうしていらっしゃるんですか?

【答】評価してくれる人がいて、役所の出先の施設でレザーを教えてくれということで一時は土・日以外は毎日教えにいってました。今は、4ヶ所だけになっています。もう一つ、ハンディキャブの元締めのような仕事もしています。今は7台あって、会員が利用する。会員200名。運転手は16名。それでも毎日フル稼働です。

【問】介護保険の申請をしていますか?

【答】してますが、おかしいよね。最初介護1だったのが、今は要支援1だものね。

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