ひらの亀戸ひまわり診療所

鷲谷博美

 私の父は5年前に他界し、大阪の実家には79歳の母が一人で元気に住んでいます。

 姉は奈良に嫁ぎ、兄は実家近くに家族と住み、そして末っ子の私は東京に住んでいるので、両親はいつも離れて住む私のことを、気にかけてくれていました。

 数年前、私の家族の病気やいろいろなことがあり、母にとても心配をかけましたが、悩む私を母はいつも支えてくれたのでした。感謝の気持ちを何とか伝えたいと思い、去年の5月の連休全てを費やし、ベッドカバーを作ったのです。

 私が結婚するとき両親は、その頃の習わしとして、留袖や喪服、小紋などの着物を嫁入り道具として持たせてくれたのです。一緒に持ってきた中に何かを作ろうと思い持参したいくつかのハギレがありました。その中に、姉の成人式に作った赤、白、ピンクの総絞りの着物のハギレがあったのです。昭和45年、着物に硫酸をかける事件が大阪で相次ぎ、姉がその被害に会い、火傷はなく、着物だけがかけられたのは幸いでしたが、両親がせっかく作った素敵な着物は、一度袖を通しただけで、二度と着ることはありませんでした。

 そのハギレも使い、着物の形にアップリケを作り、ベッドカバーにパッチワークをしました。母はとても喜んでくれました。一枚一枚の布地に亡くなった父や家族みんなで着物を選んでいた様子など、思い出がいっぱい詰まっているからだと思います。そして母は、『眠るとき、このベッドカバーを見ていると、とても幸せな気持ちになる。ありがとう。』と言ってくれました。思い出はとても大切です。ある映画のワンシーンで『死ぬ時、思い出がたくさんあると、淋しくないのよ』と言う、せりふがありました。母とこれからも楽しい思い出を作り、そして私の子供たちに、私が両親から受けた愛情と同じ位の愛情を与えることが出来たら、良いなと思います。

 ベッドカバーを渡した時、母は『まだ着物のハギレはたくさんあるよー』と言ってくれましたが、考えてみると、さすが関西人の母、次は何を期待しているのでしょう…-

Copyright © 2003 - 2019 Himawari Clinic. All rights reserved.