ひらの亀戸ひまわり診療所
backhome

2018年夏号 第103号

昔の思い出

事務長 永井未咲

 小学校6年生の7月20日、私の父は天国へ行った。小学校の終業式がある日の早朝の出来事だった。当時、実家のマンションのリフォームの為、内装工事をしていて、祖父母の家に仮住まいしている最中の出来事だった。祖母が、「お父さんの様子が変だから急いで来なさい」といつもと違う緊迫した気配で階段を駆け上がって来た。

 死因は心不全という事で、まさに急死だった。救急車が来て、墨東病院に運ばれた。力強く心臓マッサージをされている光景が今でも脳裏に浮かぶ。思考が止まった。最悪の夏休みだった。

 父は38歳の若さでこの世を去ったが、私はその年齢を既に数年超えた。過ぎてみて、まだまだ元気だし、やはり若すぎたなと思う。生きていて欲しかった。父は、私が1才の時に私を連れて離婚し、2歳の時に再婚した。それは、自分の記憶に無い頃の話だ。記憶に残る父は、自由奔放な人で、仕事と遊びで家にはほとんど居なかった。良く母を笑わせたが、泣かせもしていた。日曜日に公園で遊んでもらった覚えが無い。子供には父親らしい事をしてくれなかったが、外では人望が厚く、友人が沢山いた。存在感があり不思議な魅力のある人だった。

 私が幼稚園の時、3歳下の弟も亡くしていた。弟は、生まれてすぐに病気を患い、入退院を繰り返した。私が弟を抱いて写した写真は記憶では1枚しかなかった。幼い命に胸が痛む。生きていて欲しかった。

image

 ある日、一通の手紙が届いた。司法書士事務所からの手紙。私に何の用事? 何か悪い事をしたような心境になった。開封して見ると、内容に驚き震えた。実母が他界して、手続きが必要という内容だった。まだ62歳だった。姉からの手紙が添えられていた。姉は国際結婚をしてアメリカに住んでいる事が分かった。姉は実母の方に引き取られて育っていた。存在は聞いていたが、姿形としてはっきりしたのが、その日だった。

 それから、姉と姉の子ども達、実母の妹(叔母)との交流が始まった。姉と初めてあったのはスカイプだった。姉と叔母から、私の記憶に残っていない過去のこと、実母の事、父と母の事を語ってくれた。とても不思議な感覚だった。私は岡山県の小さな町の病院で生まれた事が分かった。その年の年末に夫と二人の娘と共に母のお墓参りへ行った。35を過ぎて第二の故郷が出来た。実母には生きている内に会いたかった。後悔している。

 何しろ、沢山の人にお世話になって、生きて来たなと思う。沢山お礼を言いたい人がいる。育ててくれた母親には感謝しても仕切れない。沢山迷惑を掛けたけど、いつも助けてもらった。どうやったら恩返しが出来るだろうかと考えるが、大した事はしてあげられてない。

 そのうち会おうと思っても、遅い時がある。忙しい毎日の中でも。大切な人に、会いに行かなきゃね。限りある命、今日を大切に生きて行こう。

Copyright © 2003 - 2018 Himawari Clinic. All rights reserved.